週休5日のセミリタイア生活

念願のアルバイトが決まりました(`・ω・´)

人間に感情があるかぎり、カネがなくても働きたくないが許容される社会は訪れない

最近、全く見てなかったあるブログ

そこでは、相変わらず各自持論を展開する決着の付かない不毛な議論で盛り上がってました

 

 

20万円の雇用に30万使われている

それなら生活保護で15万渡したほうがマシとか、

誰かが働くことで誰かの足を引っ張っているとか、

まあ、以前から同じことでよくこんなに議論出来るもんだと感心します

 

タイトルには書けなかったが、あるSFの世界のように、

貧困も根絶され、技術的に全てがコントロールできるような社会であれば、

そういう生き方も許容されると思います

 

でも、現状はどうでしょうか?

貧困の根絶は全く目途が立たず、

衣食住が、誰の負担もなしで手に入ることはありません

 

例え、上記で言っていることが正しいとしても、人間の感情が邪魔をします

人間は損得だけで生きている訳ではありません

感情的に許せなければ、損を承知で争うこともあります

その感情を無視して正論を述べても解決することはないのです

ただ働きたくないからという理由で社会に寄生したいと言っても、

反論されたり、叩かれたりするのはある意味当然なのです

 

例え無駄に見えて赤字であっても、簡単に無くしたりは出来ないのです

ブログなどで言うだけなら誰でも出来ます

 

例えば、私が

子どもを産んでくれる女性に一人あたり高額の謝礼を出して、

希望すれば、養育も政府でやればいい

子育てが途中で嫌になったら政府に渡すこともできるようにする

負担は一切掛けない

そうすれば、人口減少対策に有効だ

と言ったとします

(これは例え話ですし、実際有効かどうかは分りません)

きっと轟々たる非難を浴びるだけでしょう

 

どんなことにも人の感情を無視しては出来ないのです

単純にコストだけでは決まりません

 

それよりも、そういう社会を実現するための使命感とかで書いてないのなら、

黙って生活保護を受ければ良いのです

それだと誰にも批判はされません

その方が簡単でしょう

ただの愚痴なら、「ただの愚痴です」と言って反論なんかしないほうが叩かれたりしないと思います

 

もし、そういう社会を実現するための使命感で書いているのなら、

書くだけじゃなく、仲間を集めたりとか具体的な行動をするべきです

「いや、そこまでしないし面倒」というのであれば、

書いてあることは、ただの愚痴と一緒です

 

生活保護を受けられるのであれば、受ければいいのです

態々、他人に言う必要なんてないのです

 

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